2012年08月28日

24時間テレビ

乙武クンが語る24時間テレビへの思い


乙武洋匡(おとたけひろただ)は自分にとっていつまでも乙武クンです。


1.今年も24時間テレビが終わった。放送前、「24時間テレビを放送するのと、パラリンピックを24時間放送するのと、どちらが障害者理解が進むのか」とつぶやいて、みなさんから多くの反響をいただいた。
だが、まだ僕自身の考えを述べていない。僕は、「どちらも一方では進まない」と考えている。


2.もう十年以上前の話だ。「24時間テレビでメインパーソナリティーを務めてほしい」という話があった。
今年で言えば、嵐のポジションだ。「ビジネス」として考えれば、それはオイシイ話だったのかもしれない。 だが、断ってしまった。あの番組では、障害者の扱いが一面的であるように感じたからだ。

3.もちろん、意義はあると思っている。
募金による寄付額には無視できないものがあるし、何より「知ってもらう」ことのきっかけにもなる。だが、それでも、「かわいそうな人たちが、こんなに頑張っている」と障害者を扱ってしまうことに違和感を覚えたし、その番組の“顔”となることに抵抗があった。

4.僕が子どもの頃は、番組もいまより「貧困」に焦点を当てていたように思う。
当時は僕も貯金箱の中身を持って、コンビニまで募金しに行った。
だが、いつからかずいぶん番組のテイストが変わってきた。
そこに登場する障害者は、あきらかに憐憫(れんびん)の情で見られている気がした。
僕は、番組を見なくなった。

5.だが、パラリンピックを放送すれば障害者理解が進むとも思えない。
彼らは、日々の研鑽(けんさん)を積み、大舞台で活躍する権利を得たアスリート。
一般的な障害者像を体現しているわけでは、けっしてない。
だから、「障害者ってこんなにすごいんだ!」という感想は、全体像を見誤らせる危険性をはらんでいる。

6.「健常者とはこういう人」とひとくくりにできないように、障害者だって様々な人がいる。
いまだ苦しみのなかにいる人もいれば、障害を受け入れ、克服し、まわりに勇気を与えるような生き方をしている人もいる。
どちらが「いい」「悪い」という話ではない。
どちらも「いる」という“現実”が大事。

7.僕に対して、「あなたのように恵まれている障害者ばかりではない」「おまえは特別だ」との批判もある。
そのとおり。僕だって、あくまで“ほんの一例”だ。
だから、僕の生き方、考え方が障害者を代表しているとは思ってほしくないし、ましてや「乙武さんは…」と他の障害者に押し付けてほしくない。

8.これまで「乙武さんは24時間テレビが嫌い」という言説が流布しているけが、「嫌い」という感情とも違う。
ただ、障害者に対する扱いがあまりに一面的だとは思う。
だから、何とか異なる手法でプレゼンできないかと、ずっと考えてきた。
それが、『五体不満足』出版にもつながった。いわば、原動力

9.みなさんがこれまで抱いてきたであろう障害者に対する固定概念を、何とか打ち破ってやろう、違うスパイスを加えてやろう、そんな思いで出版した『五体不満足』。
あまりに多くの人が読んでくださったおかげで、今度は 「乙武のような障害者ばかりじゃない!」と批判される“逆転現象”に困惑もした。

10.とかく、人はレッテルを張りたがる。
日本人はこういう人、女性とはこういう性格、障害者とはこういう存在
――それが無意味なことは、わかっているくせに。
障害者だって、同情されたくない人もいれば、同情されたい人もいる。
泣きたい人もいれば、泣きたくない人もいる。本当に、いろいろいる。

11.24時間テレビを見た方には、ぜひパラリンピックも観てほしい。
NHKの『バリバラ』という番組も観てほしい。
そうして、いろいろと知ってほしい。感じてほしい。考えてほしい。
もちろん、そこでの感じ方、受け取り方は、各自の自由。

ずいぶん長くなってしまったので、このへんで。長文失礼。完
http://togetter.com/li/362560

ロンドン2012パラリンピック 日本障害者スポーツ協会 / wikipedia

NHK『バリバラ』 http://www.nhk.or.jp/baribara/



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Posted by 鈴木 俊平 at 18:00│Comments(0)日記
 
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